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文治政治と正徳の治

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問題 解答 出題数 習得度 苦手度
○年、幼少の家綱が将軍となる直前に、牢人の不満を利用して幕府を倒そうと企てた○がおこった 1651/慶安の変:けいあんのへん - - -
新井白石は○年に、○(長崎新令)を出し、長崎貿易における金銀の流出を抑えた 1715/海舶互市新例:かいはくごししんれい - - -
長崎新令ではオランダ船の来航を年間で○隻・銀○貫、清国船の来航は○隻・銀○貫までと定めた 2/3000/30/6000 - - -
江戸時代初期の、異様な振る舞いや風体をした無頼の徒を○とよんだ かぶき者:かぶきもの - - -
○は、将軍家綱を補佐した、将軍(家光)の異母弟である 保科正之:ほしなまさゆき - - -
会津藩主○は山崎闇斎に朱子学を学び、岡山藩主○は陽明学者の熊沢蕃山を登用し、加賀藩主○は木下順庵らを招いた 保科正之:ほしなまさゆき/池田光政:いけだみつまさ/前田綱紀:まえだつなのり - - -
荻原重秀は、勘定吟味役から○に昇進した 勘定奉行:かんじょうぶぎょう - - -
将軍綱吉は○を歌学方に、○(渋川春海)を天文方に登用した 北村季吟:きたむらきぎん/安井算哲:やすいさんてつ - - -
5代将軍綱吉は、初め大老○を用いた 堀田正俊:ほったまさとし - - -
東京芝の○寺や上野の○寺に、歴代将軍の御霊屋が造られた 増上:ぞうじょう/寛永:かんえい - - -
1651年、将軍徳川○が没し、次いで幼少の徳川○が将軍に就任した 家光:いえみつ/家綱:いえつな - - -
綱吉の死後、綱吉の甥の徳川○が6代将軍となり、次いでその子徳川○が7代将軍となった 家宣:いえのぶ/家継:いえつぐ - - -
1707年、○噴火により大きな被害がおきた 富士山:ふじさん - - -
○は、江戸に彰考館を設けて『大日本史』の編纂を開始した 徳川光圀:とくがわみつくに - - -
○は徳川家光の子で、館林藩主から将軍に就任した 徳川綱吉:とくがわつなよし - - -
6代・7代将軍の侍講をつとめた儒者は○、側用人は○である 新井白石:あらいはくせき/間部詮房:まなべあきふさ - - -
新井白石は朝鮮国書に記載する将軍の称号を『○』から『○』に改めさせた 日本国大君:にほんこくたいくん/日本国王:にほんこくおう - - -
1657年におきた江戸の大火を○という 明暦の大火:めいれきのたいか - - -
服喪や忌引きをする日数を定めた法令を○という 服忌令:ぶっきれい - - -
新井白石は○の待遇を簡素化した 朝鮮通信使:ちょうせんつうしんし - - -
慶安の変のあと、幕府は50歳未満の大名に○を認め、大名改易の減少をはかった 末期養子:まつごようし - - -
将軍綱吉は、○を重用し、大学頭に任じた 林信篤:はやしのぶあつ - - -
○は、5代綱吉のもとで、御用人として権力をふるった 柳沢吉保:やなぎさわよしやす - - -
将軍綱吉の母○の願いで護国寺が建立された 桂昌院:けいしょういん - - -
新井白石は○金銀を鋳造し、質量とも慶長金銀に戻した 正徳:しょうとく - - -
将軍家宣と家継を補佐していわゆる○を推進したのは新井白石である 正徳の治:しょうとくのち - - -
慶安の変を契機として、幕府政治は17世紀なかばに、○政治から○政治への転換を迫られた 武断:ぶだん/文治:ぶんち - - -
徳川家綱の行った「寛文の二大美事」とは、○の禁止と○の廃止をさす 殉死:じゅんし/大名証人制:だいみょうしょうにんせい - - -
綱吉が犬公方とよばれるのは、○を発令したからである 生類憐みの令:しょうるいあわれみのれい - - -
慶安の変は○・○らによって行われた 由井正雪:ゆいしょうせつ/丸橋忠弥:まるばしちゅうや - - -
綱吉のもとで勘定吟味役だった○は、○を回収して、質の悪い○を改鋳した 荻原重秀:おぎわらしげひで/慶長金銀:けいちょうきんぎん/元禄金銀:げんろくきんぎん - - -
大老○は、将軍家綱に仕え「下馬将軍」の異名をもった 酒井忠清:さかいただきよ - - -
伏見・桂・有栖川宮家に加えて、新井白石が新設した宮家は○である 閑院宮家:かんいんのみやけ - - -
将軍家綱は、すべての大名に対して一斉に○を発給して、将軍の地位を確立した 領知宛行状:りょうちあてがいじょう - - -

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